山上徹也容疑者起訴。
安倍晋三元総理を銃撃した山上徹也容疑者を奈良地検が起訴しました。山上容疑者へ100万円を超える支援金が集まるなど、山上容疑者と同じ宗教2世・3世の人々からの同情も集まっているようですが、いかなる理由があっても殺人・テロは許されることはありません。奈良地検の起訴は当然だと思います。ただや我が三容疑者の犯罪によって宗教二世問題を世の中に知らしめ改善の余地はたくさんあるけど「被害者救済法」という新法を作るキッカケをつくり苦悩している宗教二世の人達に光明をもたらせたのも事実でしょう。本来はこうした暴力行為ではない方法で訴えて欲しかったのですが、このような事件が起こらなければ政府与党は宗教問題にメスを入れなかった。殺人を犯した山上容疑者の罪は当然ですが、このような犯罪を招いたのは政治の怠慢だったとも思います。
もう一つの宗教問題
今回の事件に関しては二つの大きな問題があると僕は思っています。ひとつは「宗教二世」の問題。こちらは「被害者救済法」の施行で一歩前進しましたが、僕は「宗教と政治の関わり」の方が問題だと思っています。もちろん、宗教団体の信者が政治活動するのは現在の所は合憲とされています。しかし、今回このような事件が起こるまで宗教二世問題を国会等で取り上げてこなかったのは政党や政治家が宗教団体から支援されている事が大きな要因だと思ってます。自民党議員も統一教会だけでなく神社本庁や日本会議とズブズブですし、公明党は言わずと知れた政党で自民党とも選挙協力をしています。この自公が与党なのですから宗教問題はタブーとなるのは自明の理です。憲法20条では「いかなる宗教団体も国から特権を受け又は政治上の権力を行使してはならない。」とありますが、そもそも宗教法人は税制面で優遇を受けているわけでその時点で「国から特権を受けている」わけです。国から特権を受けている宗教団体が選挙に協力するというのはその「見返り」じゃないかと思うのです。オウム事件の時も、麻原彰晃が作った真理党が衆院選挙で惨敗したことがキッカケで起こっています。そもそも僕が思うのは宗教団体が選挙や政治に何故に積極的に関わるのか?という素朴な疑問です。宗教と政治って全く正反対なんですよね。宗教(信仰)とは自分の信じているモノを絶対と信じる純粋性に立脚していますが、政治の世界は最大公約数を求めるいわば多数決の世界ですからこの両者は並立しないと思うんです。当然、信仰をしている人が個人的にある議員やある政党を支援するのは自由です。個人の信仰者は国から何の特権も受けていませんから。でもそれを宗教団体全体で行うのには疑問が残ります。別に創価学会や幸福の科学の信者の人を非難しているわけではないのです。ただ、信仰と政治がどうつながるのが僕には「理解できない」のです。僕も仏教徒ですがお寺の御住職から政治的な話など聞いたことはないし、政治的な話を聞くためにお寺に参拝しているわけでもありません。多分、僕の宗派以外の他の宗派の信徒も一般的なキリスト教の信徒なども同様だと思います。いずれにしても、この事件を機に「政治と宗教」について改善していかなければいつまでたっても同じような事件がなくならないと思っています。ただ自公政権ではそこまで踏み込めないような気もしますが、そうなると野党と世論次第ということになりそうです。
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