ザックリ!鶴ヶ島市
ボクが初めて鶴ヶ島に家族と一緒に引っ越してきたのは15歳(中学3年)の時です。その後、川越・坂戸に引っ越し子供が生まれたころに鶴ヶ島に戻り10年ほど鶴ヶ島市の住人でした。最初に鶴ヶ島に引っ越してきた当時はまだ『入間郡鶴ヶ島町』でした。それまで住んでいた川越の友人たちに鶴ヶ島に引っ越すといったら、「どこの島?」って真面目に聞かれましたね。川越市内住んでいる小中学生は入間川を越えるともうそこは未知の世界なんですね。駅で言うと「川越市駅」までしか下らない。なので入間川を越えた「霞ヶ関」と川越線の「的場」や「笠幡」なんて行ったこともないわけです。ましてや「鶴ヶ島」なんて聞いたこともなかったですからね。そんな鶴ヶ島にきて最初におどいたのが町内に中学校が「鶴ヶ島中学校」1校しかないこと。つまり鶴ヶ島町の子供は全員「オナ中」の同級生なんですよ。ボク達の代が卒業後に「藤中学校」ができて2校になったので、ボクの世代が最後の「全員鶴中」の世代になりますね。そしてビビったのが鶴中は男子は全員坊主頭という校則でした。それまでの中学で坊主頭なんて野球部くらいしかいなかったので流石にビビッて一瞬不登校になりかけましたよ(笑)当時は駅も西口はなくて東口だけ。駅前のお店も夜早い時間には閉店。ボクは当時は今の松ヶ丘あたりに越してきたのですがまだ川鶴団地も造成が始まったばかりで今の松ヶ丘のあたりは雑木林と茶畑で、とんでもない所に引っ越してきてしまったと子供ながらに思ったものです。当然若葉駅はまだ開通していなくて、若葉駅が開通したのはボクが高校に入学した年でした。若葉駅周辺もほとんど何もなかったんですよ。西口もなかったし東口の正面にある公団の建物だけ。そこの1階の店舗に、『南国』という喫茶店が有って高校時代はよく行ってました。
今の鶴ヶ島市を語る
あれから45年。鶴ヶ島町は鶴ヶ島市になり市役所もバブルの頃に現在の場所に移り、鶴ヶ島駅も若葉駅も西口が開通しボクが子供の頃に住んでいた雑木林と茶畑は川鶴団地となってスッカリキレイな街並みになりました。若葉東口の草むらだった国有地(筑波大学所有)にはワカバウォークになって、その周辺の富士見はいまや坂戸・鶴ヶ島エリアでナンバーワンの1等地になって、一般サラリーマンではなかなか一戸建てを購入できないような価格になりました。(そもそも富士見エリアには売り物件がでない)といっても鶴ヶ島市も特に何かがあるというわけではありません。坂戸市よりも特徴がないですね(笑)それこそワカバウォークがランドマークです。あとは太田ヶ谷の運動公園ですかね。桜の頃はキレイですよ。昔は『太田ヶ谷の沼』といわれ何も無くて怖かったですけど今はすっかり整備されました。また鶴ヶ島市として脚折(スネオリ)の『雨乞い祭り』を押していますが、「それほどでもない」し、【つるゴン】というゆるキャラがいますが、『ゆるキャラグランプリ3位』という割には、ふなっしーやくまモンほどの認知されてません(笑)そんな鶴ヶ島市ですが坂戸市同様にカーアクセスはメチャクチャいいです。関越と圏央の2カ所に『鶴ヶ島インター』がありますから、全方向に楽々と遊びに行けちゃいます。運動公園以外にも大きな公園も多くて子育てするにはいい所だと思います。個人的には鶴ヶ島市は好きなんですよね。そんな鶴ヶ島に住みたいお客様は愛和住販にご相談ください。鶴ヶ島市内の物件を多数用意してお待ちしてます。
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