最近の宗教問題に思う事
安倍元総理が銃殺されその犯人が旧統一教会の宗教二世であることを自白したことがキッカケに宗教問題が議論されています。宗教問題が議論されるのはオウム真理教事件以来でしょうか?ただ今回は「政治と宗教」「宗教の献金問題」「宗教二世問題」と多方面にわたって議論されています。宗教は心の問題ですからなかなかコレといった解決策はないような気がしますが、かといって何もしないとまた同じことの繰り返しになる可能性が高いので、宗教問題に関しては改善の必要が有ると思っています。
僕も仏教徒なのですが
かくいう僕も仏教徒です。宗教二世ではないですけど若い頃から仏教が好きだったし仏教の本を読んでいたからですかねお寺とかに違和感もなく普通にお寺に行きます。昔からある宗派のお寺の信徒なんですけど、選挙の応援なんてしないのは当然ですが、いま問題になっている「献金」っていうのも良く分かりません。僕もたまにお寺にお布施とか御供養とかしますしお彼岸やお盆に塔婆を立てますが、別にお寺さんから要求されることなんて無いんですよね。時折、堂宇の修繕とかで寄付のお願いの案内が届くことが有りますが、文書が届くだけで電話1本かかってきませんので寄付は「しても」「しなくても」自由です。だから多額の献金なんてしたことないし、しようと思ったこともないのでピンとこないんですよね。一般的なお寺とか神社ってそういうものじゃないですか。初詣にいって賽銭箱にお金を投げるのに金額の設定はないし、初詣に行ったら必ずお賽銭をしなければいけないって決まりもないし。献金を積極的に信徒さんに求めるのは戦後生まれの新宗教の宗派だけなんじゃないかな?世間一般的なお寺や神社、教会で積極的に信者に寄付や献金を募っているというは見たことも聞いたこともありません。
信仰心や道徳心といったもの
宗教問題が起きてしまう原因はさまざまだと思いますけど、その原因のひとつに日本人の宗教的な心が廃れてきたことがあると僕は思っています。僕の子供の頃は自宅に仏壇があって、お彼岸には家族でお墓詣りして、お盆には仏壇の周りを飾ってお坊さんを呼んでお経を上げてもらったり、普通にそういう風景があったんですよね。御先祖様とか仏様とか神様を尊ぶ心を大人に教えてもらったりして普通に宗教的な心が育まれてきました。でも今時は仏壇のある家も少ないし家族で墓参りという光景も少なくなっていますよね。また今時の人はもちろんだけど僕等同世代でも「仏事」に関して知らない人が大勢います。教えてもらっていないし、本人も興味がないからなんでしょうけど大人としてそれはちょっとダメなんじゃね?って思う事もしばしばあります。これは戦後の日本の教育の結果だと考えています。戦時中の国家神道による反省から教育現場から宗教的な教育を無くしていったことが日本人の宗教心の衰退になったのだと思ってます。それでも僕が小中学生の頃はそれでもまだ週に1限、『道徳』という授業があったけど今はそれすらもないみたいですから国家が国民に宗教や道徳を教育するのはタブーとなったわけです。これが憲法20条による『信教の自由』ということです。そんな僕らの世代が育てた子供たちが今は親になっているわけですから当然、宗教的なことなんてほとんど何も知らないわけです。なにせ育てた僕等世代が知らないわけですら当然です。つまり日本国民の大多数が「宗教的無知」なんですね。だから一部の危険な宗教団体に騙されしまうのではないでしょうか、言ったら振込詐欺に騙されるのと同じだと感じます。戦後の欧米型の個人主義や合理主義や科学主義の教育が悪いとは思いませんが、あまりにもそちら側に偏ってしまうと信仰心や道徳心が失われてしまい結果的に不幸を産んでしまうのではないかと考察しています。
どっちにしても法改正は必要かな
いずれにしても、ここまで様々な宗教問題が持ち上がっている以上はある程度の法改正は必要だと思います。人の心は法律では縛れないけどある程度法律で歯止めをかけないと同じことが繰り返されてしまいますからね。もう21世紀ですよ。憲法で定められている「自由」の解釈も変わって言ってもおかしくないでしょう。戦後すぐの自由と21世紀の自由、敗戦直後の国の自由と先進国の自由とではその解釈は変えてしかるべきだと思います。ただ公明党はもとより自民党も野党もそれなりに宗教団体からの支援を受けているだろうから果たしてちゃんとした法改正ができるかどうかは疑問ではあります。でもこれまでなんとなくタブーみたいになっていた宗教に関する議論が行われることはとてもいいことだと思います。まじめに活動している宗派を迫害することなく危険な宗派を放置するようなことが無いような法改正を期待しています。

関連した記事を読む
- 2023/09/18
- 2023/09/17
- 2023/09/15
- 2023/09/13