【訃報】村田兆治さん死去
今朝、元ロッテオリオンズの村田兆治さんが自宅の火災で亡くなるという報道がありました。子供の頃から50年間ロッテ球団ファン一筋のボクにとっては本当にショックな出来事でした。この50年間のロッテ球団を見てきてロッテ球団の『スーパーエース』といえばボクの中では、村田兆治と伊良部秀樹の二人です。(3人目は恐らく佐々木朗希になるでしょう)。伊良部さんも不遇の死を遂げましたが、村田兆治さんもこんな形で亡くなるとは思いもしませんでした。過日、飛行場でトラブルになり逮捕されて以来どうしているのかと思っていましたが、まさかこんなことになるとは悲しいです。ご冥福をお祈りするばかりです。
村田兆治さんの思い出
ロッテファンでなくても、『マサカリ投法』の村田兆治を知っている野球ファンは多いと思います。ボクにとって村田兆治は子供の頃のヒーローでありボクのロッテファンを確定付けた選手でもあります。1974年の日本シリーズの第6戦に先発完投して「ロッテ」として初の日本一になった時の胴上げ投手が村田兆治です。この日本シリーズでの村田兆治の姿をみてロッテ球団が大好きとなった少年は以来48年間、一度も他球団に浮気することなくオリオンズからマリーンズに変わってもこの球団を愛し続け、1974年以来となるシリーズ・リーグ1位という子供の頃に見た光景を求め続けているのです。1983年。当時はタブーとされた肘にメスを入れるTJ手術を受け2年間のリハビリの後に不死鳥に復活し、日曜日の試合に7連勝したことから『サンデー兆治』と呼ばれました。この復活劇は本当に感動的でしたね。剛速球とフォークボールで三振の山を築く投球に惚れ惚れしました。後の伊良部秀樹そして今の佐々木朗希も、村田兆治の流れを汲む投手です。頑固一徹な方だったようで奥様がいわれた「昭和生まれの明治男」という言葉は流行語大賞の特別賞にもなりました。村田兆治の背番号「29」はその後、小野晋吾~西野勇士に受け継がれています。なんだか色々と思い出しているうちにまた悲しくなりました。グランドで熱い感動をたくさん与えてくれた村田兆治さん。ありがとうございました。合掌。

関連した記事を読む
- 2023/09/18
- 2023/09/17
- 2023/09/15
- 2023/09/13