古典の授業は不要なのか?
以前から学校での「古典の授業不要論」の賛否の議論があるけど、先日カンニング竹山が「今年で53歳のおじさんだけど、いまだ古典が役に立ったなと思ったことが1回もない」と発言してネットで少し賛否の議論がされてます。ボクは読書好きなので古典も好きです。そもそも仏教徒ですから仏典も古典ですから古典慣れしているというのもありますが今も「今昔物語」を読んでいます。そもそも多くの人が大学は別として高校までに学校で覚えたことで社会で役に立つとしたら国語を含めた語学くらいであとはほとんど役に立たないものばかりです。微分積分もピタゴラスの定理も個人の人生において役に立っているという自覚はないでしょう。ただボクは「役に立たない」のではなく知識を役に立てようとしないのではないかと思ってます。日本の教育は知識は教えるけどその使い方を教えない。平たく言うと教養というか知性という部分が欠如していると思います。東大などの一流の大学を出た国会議員が平気で問題行動をするのは知識はあっても知性がないからではないだろうか。古典だって例えば孔子の論語も中国古典ですけど多くの人達が読んで人生の糧にして役立てているじゃないですか。役に立つか立たないかは本人次第だと思います。カンニング竹山も53歳にもなって古典が役に立たないなんていうのはちょっとオトナとしては恥ずかしい発言だとボクは感じます。いまってちゃんとしたオトナが少ないですよね。子供が歳を取っただけだから女子高生と同じ目線で「古典って役にたたないよね」って話になっちゃう。昔のオトナならJKが「古典なんて無駄」と言った時に、古典に書かれている説話や神話の面白いひとつも話して聞かせて「な?面白いだろう」って言うのだろうと思う。やっぱり、ある程度の年齢になったらちゃんとしたオトナとしての知識や教養を身に付けたいな~。もちろん教養なんて金儲けには何の役にも立たないけど無駄だって切り捨てるところに今の日本の闇があるような気がするな。
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