四十九日と納骨
昨日は、2月に亡くなった母の四十九日の法要と納骨を執り行いました。そんなわけで臨時休業してしまいまして申し訳ありませんでした。さて、昨日もあいにくの雨模様でしたが、菩提寺のお寺で四十九日の法要を済ませお寺の墓苑に移動して納骨を無事済ませこれでひと区切りつきました。墓苑と言っても我家にはいわゆる「お墓」はありません。父もそうなのですが母の遺骨もお寺の「納骨堂」に納めています。父の時は急死だったので母が決めましたが今回は生前母と話し合って母の了解の元です。僕も自分が死んだら「納骨堂」でも「合葬」でも構わないと思っています。「♪私のお墓の前で~♪泣かないでくださ~い」という歌がありますが仏教的にはまさにその通りで仏教では特に「お墓」に意味はありません。もっとも意味があるとかないとかの前に現代では「お墓」は「負の財産」になりつつあります。僕の友人の中でも「墓じまい」をしたり考えたりしている友人が多くいます。自分の代までは良くても自分の子や孫の負担になるのでは?と今やお墓に関しては悩みの種になってしまっていますよね。確かに悲しい事ですが彼岸やお盆のお墓参りという風習はどんどん廃れてますからね。下手にお墓など残したら金銭的・物理的・精神的な負担を子孫に与えることになりませんからね。そんなわけで僕の父も母も「納骨堂」にしてお墓は購入しませんでした。自分の家のお墓でなく納骨堂でも墓参?もできますしお寺の納骨堂ならば彼岸やお盆に御僧侶が読経してくれますし将来「無縁仏」となることもありません。何よりも「墓じまい」で子供が頭を悩ますこともないですからね。いまは樹木葬とか色々なパターンもあるしね。もっとも僕は樹木葬はイヤかな。お墓は仏教と直接関係ないけど自分の宗派のお寺の納骨堂に入りたいなぁって思います。
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